2025引退ブログ 4年 6 谷垣 真生「上から見るか、横から見るか」
こんにちは、環境社会理工学院・土木環境工学系4年の谷垣です。
大トリの一つ前ということで 段々と皆さんも読むのに飽きてきたかと思うので、あまりタラタラ書かないように、歯切れ良い文章を書くよう心がけようと思います。
前置きは特に書かずに本題から入ります。
振り返ってみると、同じグラウンド、同じピッチ、同じゴール、4年間場所はほとんど変わらなかったはずなのに、自分が見ていた景色は毎年まったく違っていました。そんな話をこれからしたいと思います。
1年
遅刻や欠席を重ねる問題児。試合には出させてもらっていたが、完全に定着していたわけでもなく、そんな状況に「まあ1年のうちだし」と言い訳していた自分もいた。ピッチに立ってはいたが、心はどこか外にあった。チームの中心ではなく、いつも端から全体を眺めている感覚。試合に出ているのに、居場所がないような、不思議な距離感を感じていた。
今思えば、その景色は自分が作り出していたものだったのだと思う。
2年
試合に定着するようになった。遅刻癖はまだまだ抜けていなかったものの、「自分が出ている試合で勝ちたい」という気持ちが強くなった。過去のブログを見てもらえればわかると思うが、この時はただただサッカーが好きでサッカーをしている自分が好きだった。自分が試合でいいパフォーマンスをすること、それで試合で勝つこと。ただそれさえできていいればよかった。思えば、この時が自分の中で“一番自由に、一番楽しく”サッカーそのものに向き合っていたかもしれない。
3年
幹部になった。1・2年の自分を知っている人たちにとって自分が幹部になることは意外だと思われることが多かったかもしれない。それでも自分はこの1年間明確な目標をもって部活に臨んでいた。
「ピッチに立つ。チームを勝たせる。」
1秒でも長く試合に出る、沢山走る、体を張る、声を出す、戦術を考えてチームのプレーを楽にする。ゲームの中心でプレーする。
幹部として、たいきはチームを裏から(もちろん表でも)支えていた、りょうは練習を動かしてチームとしてのクオリティ向上に奔走していた、こうだいは東工大サッカー部の顔として色々なものを背負って最後まで堂々とチームを引っ張っていた。幹部になってしばらくは自分に何ができるだろうと頭を悩ませた時期もあったが、いくら考えても自分にできるのはこれだった。
東工大サッカー部に入って、それまで自分のためにやっていたサッカーだが、「チームのため」を考えるようになった。
プレースタイルも変わった。シーズン中のとある練習で桑君にも言われた。なんと言われたかは忘れたが「去年と比べてファイターっぽくなったな」みたいな内容だった気がする。どうやら桑君も、自分のよく知るファイター桑原になったのは幹部になってかららしい。(しかし後で他の先輩が「桑は昔からあのままだよ」みたいなことを言っていたのを耳にしたので、桑君はただの自認に過ぎなかったようである)
何より大きかったのは、見える景色が広がったこと。練習の雰囲気、声のかけ方、チームの空気、後輩の成長、結果。2年まで自分の周り半径1mくらいしか見えていなかったものが、チームを俯瞰して見えるようになった。試合が終わってから「自分はどうだっただろう」以外考えたことのなかった自分が、「どうすればチームは勝てただろう」だけを考えるようになった。逆に、勝った時の喜びは今までとは比べ物にならないほどのものになっていた。当然と言えば当然のことだが、自分にとっては大きな変化だった。
4年
ラストイヤー。これまでのサッカー部生活の集大成を見せる年にしようと、代替わりの時に心に決めた。今年1年を知っている人からしたら嘘のように聞こえるかもしれないが、本当である。
ただ蓋を開けてみると、この決心とはかけ離れたところに自分はいた。
原因は何だったか、色々思いつくものはあるが、言い訳がましくなってしまうのでここでは言及しないようにする。
ただ、そこまでに至る過程はどうであれ、現実としてはこれまでピッチの中から見ていた景色はほとんど見えなくなり、ピッチ外から試合を眺める時間が続いた(1年生の中には入部してからしばらくしても自分をOBだと思っていた人もいたようである)。練習にも参加できないことが増え、自分のコンディションが上向かない日々。周りからは部活への熱量がなくなったと思われていたかもしれないし、まだまだ自分はやれるという気持ちはもちろんあったが、今思えば、半分諦めていた気持ちもあったと思う。置いていかれる感覚と、自分の存在価値への迷い。4年間で一番、景色が曇っていた時期だった。
そんな中で迎えたリーグ戦最終節。創価戦。
それは、自分がもう一度ピッチに立てる、最後のチャンスだった。
あの日は、今まで感じたことがないほど無我夢中でプレーしていた。
結果や評価ではなく、「今までの自分をすべて出し切る」ことだけを考えていた。
楽しかった。
全力でできた。
自分が心からサッカーをしている感覚が、確かにあった。
パフォーマンスの低下は、自分でもはっきり分かった。たったの45分でもう体力は限界だった。
試合後、複雑な感情が胸を巡っていたが、それ以上に、不思議と晴れやかな気持ちだった。
それと同時にこの1年間の自分を振り返って、そして最後に自分が出た本当に重要な試合で負けてしまうという最悪な置き土産をしてしまった自分の不甲斐なさに腹が立った。
この日は、これまでお世話になった先輩や両親も試合を見に来ていた。
観客挨拶の後に少し話すことができたが、どちらからもかけてもらった言葉は、「お疲れ様。よかったよ」という、シンプルな一言だった。
その一言を聞いた瞬間、張り詰めていたものが、ふっと緩んだ気がした。
自分の中では、悔しさや情けなさ、達成感が入り混じり、簡単には言葉にできない感情が渦巻いていた。それでも、その一言は、そうしたすべてを肯定してくれるように感じられた。
少なくとも、今まで支えてくれた人たちには、最後に自分らしくピッチに立つ姿を見せることができた。そう思えたのは、あの一言があったからだと思う。
そして、大学サッカー生活最後のこの試合で、ほんの少しだけだが、昔見ていた“ピッチの中からの景色”を思い出すことができた。
もうあのピッチに立つことはないけれど、それでも4年間で見てきた景色はこれから先も自分の中に残り続けると思う。
サッカー部で得たのは、技術や勝利だけではない。立場が変われば、同じ場所でも見える世界がまったく変わること。そして、見えなくなった景色の中にも、確かに意味があったということ。これを知ることができたのが一番の収穫だったかもしれない。
最後に、
どうやら、OBになってから部活の練習に顔を出したのは、同期の中で自分だけらしい。
OBとして見る練習の景色は新鮮だったが、それ以上に身体の衰えが新鮮だった。
アップの時点で息は上がり、体は思うように動かず、「ああ、自分はもうOBなんだな」と強制的に理解させられた。
それでも、不思議と楽しかった。見る景色は変わっても、ボールを蹴る楽しさだけは変わらないらしい。
老害にならないように細心の注意を払いながら、気が向いたら、またこの景色を見に来ようと思います。


